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Be mine my darling

失われた愛に。失われた希望に。そして、新たな旅立ちに。

おめでとうって言えなくてごめんなさい

 

 

2016年11月29日。

大好きな大好きな長野くんが、新しい人生を歩み出した日。

長野くんが、メンバーや事務所の後輩を始めとする、本当に多くの方々に心から祝福された日。

沢山のファンが心からのお祝いの言葉を送った日。

 

 

でも、私はできなかった。

メンバーが誰も言わないでいてくれたあの言葉を、私もまだ言えずにいる。

 

  

「ファンなら好きなアイドルの幸せを喜ぶべき」「好きな人が幸せなら私も幸せ」、そう思ってらっしゃる方はここで引き返してください。

 

 

 

 

 

 

 

 

最初は、ただただショックで。

仕事中、ネットニュースのトップに「長野博…」って文言を見つけて、すっと血の気が引いた。本当に指先が冷たくなった。

嘘。

まさか。

どうしよう。

そればっかりが頭の中をぐるぐるしてて、本当に悪い夢を見てるような気持ちだった。

 

お昼にTwitterを見たら、ああ、本当なんだって思い知らされて。

涙が出た。

お弁当を開くこともできずに、昼休み中、非常階段でずっと泣いてた。

 

 

 

ベストアーティストは、本当に本当にどこまでも長野くんらしい、V6らしい温かくて素敵なステージだった。

緊張した面持ちで、直接的なことはなにひとつ言わなかった長野くん。

メンバーの誰も、あの言葉を言わなかったね。

私はその心遣いに凄く凄く救われた。

でもその気遣いができるのはきっと、2007年の出来事を経験してるからなんだと思う。

 

出演していたジャニーズ全員が集まってお祝いして、胴上げして。

「長野くんの幸せはジャニーズ事務所の幸せ」とまで言ってもらえて。

彼がどれだけ多くの人に深く深く愛されてるか、多分ファンじゃなくても伝わったと思う。

 

ベスア終了後は、更にお祝いムードが加速した。

あのステージを見て、心からお祝いできる!って気持ちを切り替えられた人も沢山見かけた。

「長野くんの幸せはジャニーズ事務所の幸せ」これが転じて「長野くんの幸せはファンの幸せ」「あなたが幸せなら私たちは幸せです」って善意の塊みたいなツイートがそこかしこから回ってきたとき、お祝いできていない自分がまるで戦犯扱いされてるみたく感じられた。

本当にお祭り状態で、そこに入っていけない自分がマイノリティで、悪で、狭量だって指を差されてるような気持ちだった。

 

もう何の感情で涙が出てるのか分からなくて、でももう我慢しようにも気持ちが壊れる寸前だった。自分の気持ちに正直に、って言うと聞こえがいいけど、単純に限界だった。

 

 

悲しい、っていう言葉を使うことに凄く勇気が要った。

禁忌を犯してるような気すらした。

今回のことで、あの祝福の嵐の中、一番言ってはいけない言葉の様な気がしてた。

 

 

大きな罪悪感の中で、それでも本音を吐露できたことで、やっと思いっきり泣くことができた。

沢山の方たちに、優しい言葉をいっぱいもらった。

日ごろから仲良くしてくれてる人、久しぶりに絡んだ人、初めましての人。

本当に申し訳なくなるくらい温かい言葉を沢山いただきました。本当に本当に、心からありがとうございます。

自分を否定しないでいてもらえることで、どれだけ安堵したことか。救われたことか。

 

そんなやりとりの中に、同じように悲しくて仕方ない、でもその気持ちを言えなくて余計に辛い、とそっと私に打ち明けてくださる方々もいました。

圧倒的なお祝いムードの中半ば流されるようにおめでとうって言ってしまった手前、もうモヤモヤした気持ちを表に出すことができないとか、こんな時にこんなに悲しんでる自分が変なのかなと思ってしまって自分を責めてるとか、一日明けたら何とも言えない気持ちが生まれてきたけどどう思われるか怖くて今更言えないとか、自分の気持ちを言えないことに対して辛く感じてる人が少なからずいて。

本当に申し訳ないことに私はまだ誰かを励ましたり慰めたりできるほど自分に余裕が無くて、ただただ「分かります、分かりますよ」って言ってあげることしかできなかった。ごめんなさい。

 

「元気な振りなんかしないでね」「お祝いしてる振りしないでいいよ」って言ってもらえたから、私はそうしないで済んだ。そうしなくちゃいけない、って思ってる自分を見透かされたみたいで、どうしようもなく嬉しくて、わんわん泣いた。

元気じゃない、大丈夫じゃない、涙が止まらない。それを言うだけでも勇気が要ることが、そう思って苦しんでる方が私以外にもいることが切なかった。

 

 

自分を責めないで、長野くんはそうやって悲しむファンのことも受け止めてくれるから大丈夫、そう直接言ってもらったり、そう呼びかけてるツイートも沢山見かけた。

例えばこれが別のメンバーだったら、私もそう言ってると思う。そして皆が言うとおり、長野くんはきっと色んなのファンの気持ちや反応を想像して、覚悟もして、全部のファンを受け入れてくれるんだろうと思う。

でも、そう思ってても、やっぱり申し訳ないような、後ろめたいような気持ちが消えない。

 

 

長野くんは完璧なまでにファンに対して心を尽くしてくれた。

ベスアで発言する時、すごく緊張してるのが分かった。その中に恐れがあるのも分かった。

そうさせてるのは私なんだ、って。

本当は、長野くんが不安に思ってる時こそ「大丈夫、ずっと応援してるよ。おめでとう」って心から言えるファンでありたかった。ほんの少しでも彼の支えになれる存在でありたかった。

好きだから、大好きだから、長野くんが「誇りです」って言ってくれるファンでありたかった。

ごめんね。

ごめんね、長野くん。

悲しませて、苦しませて、ごめんなさい。

 

何をしてても何を見ても、長野くんのことばっかり思い出して、連想して。

ああ駄目だ、って考えないようにしてた。

翌日からは顔を見るのも辛くて、壁に貼ってたポスターやフライヤーを泣きながら剥がした。飾ってた雑誌も片づけた。

大好きな優しい表情も柔らかい笑顔も甘い声も、見たくて聴きたくて仕方ないのに、それ以上に辛くて怖くて今も見れないでいる。

 

 

最初は悲しくて泣いた。

苦しくて、しんどくて、辛くて泣いた。

好きだなって思って泣いた。

悲しくても苦しくてもしんどくても、それでもやっぱり私は長野くんが好きで、大好きで。

ファンのことを大切に思ってくれるのも周りに細やかな気配りができるのも、どこまでも謙虚で自分のことなのに前に出ることを躊躇うところも、皆に愛されて愛されて心からの笑顔を向けられてるのも、私の大好きな長野くんで。

 

大好きだから悲しかった。

大好きだから涙が止まらない。

 

 

健ちゃんがいつかのラジオで言っていた発言を、励ましの言葉として色んな方から教えていただきました。

そう、失恋。

大失恋。

失うどころじゃない。死ぬ。

とどのつまり私は長野くんが大好きで大好きで、アイドルとしても人間としても男性としても世界一好きだった。ガチ恋だった。

だからお祝いもできないし悲しいし苦しいし泣いても泣いてもまだ涙が止まらない。

 

本当にびっくりする位、温かい言葉を沢山掛けていただいて、でもそんな皆さんの優しい心に見合うような綺麗な気持ちじゃないことが、申し訳なくて後ろめたかった。

 

 

 

 

私がV6を好きになったのは今年の初め頃で、本格的に長野くんに夢中になったのは春頃。アイドルを好きになったのは初めてだった。ジャニーズとは、アイドルとは、V6とは、長野博とは、どういう存在で今までどんなことがあったのか、自分なりに多少は勉強したけど、やっぱり経験と覚悟が圧倒的に足りなかった。ファン歴と感情はイコールではないけれど、私はあまりにもお気楽で楽観的なファンだった。見たいもの、聴きたいもの、楽しいものだけを信じてた。

長野くんを大好きになってすぐにForever Plaidの舞台があって、初めて会えた時は感動して感動して、観劇後になんて言っていいか分からないくらい胸がいっぱいだった。何時間も前に並んで当日券を買ったりして、毎日のようにグローブ座に通った。登場シーンの時に、プラッズが真横を通ったこともあった。長野くんの綺麗な横顔がすぐ側にあって、手を伸ばせば触れるくらいの距離にいて。今もあの瞬間が忘れられない。観劇する度にお手紙を書いて、こんなに近くに感じることができるなんて、って楽しくて幸せで夢中だった。

新曲が発売されて、色んな歌番組に出演して、もう私にとっては何もかもが新しいこと尽くしで本当に楽しくて仕方なかった。あの表情が素敵、とかあの振りが可愛い、とか、皆できゃっきゃ言って盛り上がれるのが凄く楽しかった。

始めはなんだかなあ、と思ってたラブセンもあっという間にハマって、随分課金もして。V6を近くに感じることができる媒体が減ってしまうことが悲しくて、サービス終了前には毎日スクショや動画撮影に追われてた。

休日には美味博愛に載ってるお店を巡った。長野くんがこの料理を食べたんだ、この場所に来たんだ、この景色を見たんだって思うだけで嬉しかった。

長野くんの誕生日にはご実家に行って、自転車を買って。ご両親にもお兄さんにもお会いできて、握手もさせてもらって。長野くんはこの街で育ったんだなって思ったり、優しくて温かいご家庭で愛されて愛されて育ったんだなってことが伝わって、嬉しくて幸せで帰りの車の中でぽろぽろ泣いた。

幸運なことにドリフェスにも行った。初めて見るV6のステージ、初めて会う44歳の長野くんだった。他のアーティストのファンが沢山いる中で、フェスだからって日和らずにジャニーズとして、アイドルとして直球のステージを見せてくれた彼らはただただかっこよかった。この人たちのファンになれて良かったって心から思った。

はえぬきのキャンペーンが始まった時は必死でお店を回ったり問い合わせたりしてはえぬきを探したけど、私の住んでるところでは全く取り扱いが無くて、近所にある個人店のお米屋さんにダメ元で聞いてみたら、JAに問い合わせてキャンペーンに加入登録をしてくれた。「当たってほしいから」って応募券を多めにくれた。長野くんから優しさの輪が広がっていってるみたいで、お米屋さんの好意と優しさが凄く嬉しくてありがたかった。

限定のスパークレンスを買うことができて、長野くんのお誕生日にはウルトラマンティガのBOXを買って、微力ながらティガ20周年をお祝いできてるみたいで嬉しかった。特撮ファンの方にも愛されてる長野くんが誇らしかった。

ネクジェネにメールを送って、読んでもらえた時は嬉しくて嬉しくて。自分の世界とトニセンがいる、長野くんがいる世界が繋がってるんだって思ったら不思議で、感動した。

自分の投げかけた疑問に答えてくれたり、そこから話題が広がって楽しそうに話してくれるのが凄く凄く嬉しかった。夢みたいだと思った。

坂本くんとイノッチには何度かメールを読んでもらったことがあって、いつかいつか長野くんに読んでもらえたらってずっと願ってた。メールを送り始めてから5か月、11月26日放送回で初めて長野くんにメールを読んでもらえた。2回も。嬉しすぎて嬉しすぎて、長野くんに近づけたみたいな気すらした。読んでもらってる部分だけ携帯に落として何回も何十回も繰り返し聴いてた。バカみたいに喜んでた。

その3日後だった。

 

 

気持ちは刻一刻と形を変えていくから、「悲しい」や「寂しい」さえその意味合いや重さが少しずつ変わっていくけど、今はこの気持ち。

寂しい。

 

もう、今までと同じ気持ちでは長野くんを想うことはできない。

もうあの時と同じように好きではいられない。

それが悲しくて寂しい。

 

 今は、長野くんのこともV6のことも大好きだし、離れることはできない気がしてる。今は、だけど。

落ち着いて心からお祝いできる時が来たら、もしかしたら今よりもっと好きになってるかもしれないし、今より豊かな気持ちで応援できるようになってるかもしれない。

 

でも、今はただ、何の曇りもなく100%長野くんが大好き!って言えていた頃が懐かしいし、正直恋しい。フォエプラもドリフェスもメールを読んでもらえたことも、11月29日以前で良かった、って思ってる自分がいる。

そのことを心から幸せって思える時で良かった、って。

 

大好きな人を心から大好きって言って追いかけることができるのは、凄く幸せなことだったんだね。

長野くん、大好きだよ。今だって大好きだよ。

大好きだって思うと、今は涙が出てきちゃうけど。

まだ全然気持ちの整理はできてないし、あの番組も当分見れそうにないけど、もう戻れないんだってことだけは痛いくらい分かった。

 

長野くんのことが大好きで大好きで、それだけで幸せだったあの頃にはもう戻れない。

私が心から大好きだった長野くんは、もうどこにもいない。

 

大好きで大好きで、毎日楽しくて嬉しくて幸せだった。

長野くんのことを考えるだけで幸せで、色んな刺激や影響を受けて、私自身沢山変化があった。

沢山の幸せをありがとう。

 

 

できることなら、もっともっと早くファンになっていたかった。

もっともっと、長野くんのことを心から大好きで応援できる時間がほしかった。

 

いつか心から祝福できる日が来てもいいし、来なくてもいいかな、と今は思っています。

 

そして、ほんの少しだけ、悲しいままでいたい自分もいるんです。

早く吹っ切れるといいね、気持ちの整理がつきますように、元気になる日を待ってる、そんな風に声を掛けてもらって本当に嬉しくて有難くて、その言葉に応えたい気持ちももちろんある。早く前みたいに6人を応援できたら楽しいと思う。

でも、この気持ちを手放したら、好きな気持ちも消えてしまいそうな気がして、それが少しだけ怖い。

祝福しても悲しんでも、離れて行ったとしてもどれも間違いじゃないし、それで気持ちの強さが計れる訳じゃない。

ただ、私がそれを受け入れるには、余りにも時間が足りなかった。

 

長野くんが大好きと思うだけで幸せだった、楽しくて幸せなファンでいたかった。

たった半年だったけど、だからこそ楽しい思い出しか無くて、その時間を昇華することは私にはまだできないし、したくないんだと思う。

弔ってしまうには余りにも幸せな気持ちが溢れすぎて、その時にどんなに嬉しかったか幸せだったか、今もありありと思いだせるから。

長野くんのことを大好きで大好きで幸せだった時の気持ちを、あの時の自分を、私はまだ大切にしてあげたいんだ、って書きながら気づいた。

 

無理しないでいい、元気な振りも祝う振りもしなくていい、言いたいこと言っていい、そう言ってもらえたから、今の自分の気持ちの正体に気付くことができました。

 

今はまだ、長野くんが大好きで大好きで仕方なかった気持ちを、持っていたい。